ひやひやしながら古いカセットを再生
物置から「Univ. Band 1988 Apr.」と書かれたカセットテープを持ってきて、オンキヨーのカセットデッキ「K-505FX」で再生している。出力はコルグMR-2000Sにつないで、MR-2000Sの側で録音しながら聞いている。
古いカセットを再生するのは怖い。特に怖いのは巻き戻しと早送りで、終端に達した時にハブというかリールというかが壊れたことがあったから、スリルを味わうことになる。巻き戻しと早送りはなるべくしないようにしようと思うのだが、それでも、20分以上無音の状態にしておくのもつらいので、今1回、早送りをしてしまった。何とか反対の面を再生できているようだ。セーフ。ふー。
このカセットテープは、1988年の4月に行われた、The University of Kansas(KU、カンザス大学)のUniversity Bandのコンサートの模様を収録したものだ。私はホルンの2番で参加していた。指揮は、James Barnes助教授(当時、後に教授、今は名誉教授)と、あと、客演指揮者がいたと思ったけど、だれかわからない。
私が1987年に留学先を探した時に重視したのは、ジャーナリズムスクールがあり、それが全米でベスト10に入るものであったことだ。私は日本の大学でマスコミ論のゼミに入っていたし、一応マスコミ志望であったから。願書を送っても他の大学はなかなか色よい返事をもらえなかった。TOEFLのスコアがなかなか550点に届かず、ちょっと不足していたからだ。
KUには「English as a second language」という、英語を母国語としない人向けの教育コースがあり、当時のKUは、英語力が足りなくても、KUで教育するから大丈夫よ、というスタンスだった。そんなわけで、私も受け入れてもらえた。
KUに着いて英語の試験があり、Grammerは合格点だったので授業を受けずに済んだが、Speaking、Writing、Readingは授業を受ける必要があった。SpeakingとReadingは週5日、Writingは週4日授業があった。1987年秋学期は、大学の学部の授業を1コマしか受講できなかった。次の学期は、英語はWritingだけになったので、学部の授業を3つくらい受けた。
James BarnesがKUにいると知った時は驚いた。James Barnesの曲は日本の吹奏楽部・吹奏楽団の多くが演奏していたからだ。「Alvamar Overture(アルヴァマー序曲)」と「Appalachian Overture(アパラチアン序曲)」は、吹奏楽コンクールの自由曲として選択されることが多く、コンクールに行くと頻繁に耳にした。私が所属する高校の吹奏楽部が県代表として東海大会に進んだ時の自由曲も、Barnesの「Invocation and Toccata(呪文とトッカータ、祈りとトッカータ)」だった。
講義一覧を見ると、James Barnesが受け持っている「University Band」という講座は、学部生のアマチュア(音楽専攻じゃない人)でも入れてもらえるらしい。ただ「会いに来い」と書いてあったので、Jamesの部屋に行ってノックをし「入れてください」とお願いした。壁にはスーザホンがかけてあった。そこでは、それまでの経験や、楽器を持っているかなどを話したと思う。入れてくれるということだったので、姉が米国旅行に来る際に、ホルンを持ってきてもらった。寮の音楽室で一人練習をした。あー、そこでピアノも弾いたっけな。
University Bandの練習は、週に1日か2日程度、Hoch Auditoriumで行われた。英語のクラスで一緒だったドイツ人の女性にあいさつしようとして、床に置いてあった板で滑って派手に転倒し、「Are you Okay?」と言ってもらえたのを思い出す。Jamesは指導と指揮をする際に、さほど準備をしてきているようには見えず、思い付きでやっていたようだったが、それでも、彼の指揮で音を出すのはいつも楽しかった。
学期の終わりには、演奏会をした。Hoch Auditoriumは大きな会場で学生バンドが演奏すると空席があり過ぎるので、もう少し新しく座席数の少ないホールで開催した。ユニフォームがあり、それを着て演奏した。
日本から来た友人に、アイワのカセットプレーヤーの録音機能付きのものを渡し、録音してもらったのが、上の写真のカセットテープである。ワウフラッターがひどい部分があり、それは録音時に生じたものかもしれない。大した録音機じゃなかったしな。歪みも気になるが、付属の本体直挿しのマイクでは仕方ない。
ここ最近、Jamesの曲が入った音楽CDを収集している。2枚あったものを聴いてしっくり来て、他のものもできるだけ収集しておこうと思った。
JamesのUniversity Bandに参加できたことは、私の人生における自慢話の一つである。先生のご健康を祈っている。
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